『その働き方ムダですよ』読書レビュー 126冊目:ビジネスNo.85

『その働き方ムダですよ』
著:おちまさと


こんにちは、読書好きのmasamariです。

今回は、おちまさとさんの『その働き方ムダですよ』をご紹介します。


◾️これからの働き方に欠かせない"自分マーケティング"とは

毎朝同じ時間に起きて、いつもと同じスーツを着て、同じ電車に乗って会社に行く。
慣れ親しんだ会社で日々繰り返される仕事をし、決まった時間帯に帰路に就く。
そんな平日の"お決まりパターン"に慣れ過ぎていないか?

"自分マーケティング"とは、今まで当たり前だと思っていた何気ない生活や日々の仕事を客観的に評価し、社会での自分の立ち位置を見直すことである。

"自分マーケティング"は、パソコンのウィルスソフトのようなもの。
ウィルスソフトが1年に1回しか、ウィルスチェックしてくれなかったら困る。
"自分マーケティング"も同じ。
1年に1回でいい、思い立ったときにやればいいわけではなく、「毎分、毎秒、考えるクセづけ」をするものである。
これを日々、瞬間瞬間繰り返すことにより、ムダが削ぎ落とされていくはず。

著者の場合、自分の事務所を持っていることもあり、本をいつ出したか、いつどんな仕事をしたかなど、自分で考えなければならない。
それを著者自身で約25年間管理してきた。
洋服ひとつとっても、今日はどういう人に会って、そこで自分をどう見せるべきかと、日々考えている。

「戦略を練る」ことは卑怯なことではない。
むしろ、日本人は何も考えず思考停止し過ぎている人が多い。
新商品が発売されれば静かに行列をつくり、コンサートで「同じ方向に手を振れ」と言われれば、何の疑問も持たず一斉に手を振る。
時代は刻々と変わるのに、果たして、人生まで思考停止して良いのか。
人間とは、一生走り続けるものである。
だからこそ、"自分マーケティング"が必要なのだ。

著者の仕事である「プロデュース」とは、人や企業の個性をさらに伸ばす仕事である。
たとえば、著者の奥さんは結婚するまでまったく料理ができなかったそうですが、家電製品の配線が非常にうまくて、取扱い説明書を見ながら、あっというにDVDなどをつないでしまう。
そこで「レシピ=取扱い説明書」だと伝え、レシピを横に置いてその通りにつくってみたらと言ったら、レシピを買ってきた当日に料理ができてしまい、今では料理本を5〜6冊出すまでになったそう。

「自分はこれが得意だから、ここをこうしたらもっとこうなるかも知れない」というこの作業を、自分自身でできるようになるとムダが省けてはるかに効率が良い。
そのために必要なのが、"自分マーケティング"である。


◾️"自分マーケティング"には何が必要か

"自分マーケティング"に必要なのは、徹底した客観性とフラットな感情だ。
自分自身を冷徹なまでに府酸し、まるで他人かのように評価することである。

ピッチャーなら、球は走っているのか、今日勝っと何勝目になるのか、自分のコンディションは昨日に比べてどうなのか。
自分が自分のコーチになたつもりで批評するのだ。

そのお手本は、メジャーリーガーのダルビッシュ有投手。
彼は、毎日のように今日の試合で自分がどんなパフォーマンスでチームに貢献できたのか、またどこがダメで調子が上がらなかったのか、自身のブログに記録している。
「ストレートが良くなかったのですが、カットとカーブが良かった。カットは投球の70%近く投げたんじゃないかな?」など、その客観性も非常に具体的。
この客観性こそ、成果を出すための"自分マーケティング"に最も必要なものである。

さらに、"自分マーケティング"時代に欠かせないのは、「看板力」。
企業の名前や学歴は通用しない時代、新しく掲げる看板は、自分自身である。
その看板力を補ってくれる存在が、ソーシャルメディア。
ソーシャルメディアの普及によって、メディアに取材されなくても一個人が発信できる時代になった。

ソーシャルメディアでこそ必要なのは、「平常心」「正直さ」という意味でのフラットさ。
気軽に発信できるとなると見栄を張りたくなって、現実より"盛って"表現したくなってしまわないか?
"自分マーケティング"というと、「自分をよく見せることだ」と勘違いして、「美味しかった」が「超美味しかった」になったり、「たまたま通りがかった店」が、「行きつけのお酒落なバー」になったりと"盛って"表現してしまう人が非常に多い。
それは単に着飾っているだけでムダである。
重要なのは「本当のことを正直に言い続けること」。
盛らず、飾らず、あったことを正直に発信すれば、その積み重ねがいつの間にか人となりとして婆み出て、「看板力」になっているはず。
自分を良く見せようとムダに"盛って"表現してみたところで、それは何の「看板力」にもならない。
むしろ、自分の首を絞めつけることになりかねない。


◾️人間関係を大切にし過ぎるとなぜムダか

「人間関係は深くなければならない」という「常識」は、たかが戦後60年の、親や教師や上司たちがつくってきた「常識」である。
警察庁の発表によると、日本では約3万人が毎年自殺していて、その動機の上位には必ず「人間関係」がある。
これは、一つの要因として、知らず知らずのうちに蓄積された人間関係に関する既成概念があるからではないか。

インターネットでつながる人間関係は浅いという人がいるが、本当にそうか?
著者はむしろインターネットによって現代の人間関係は深くなりすぎたと思っている。

いまやソーシャルメディア上では他人の日常生活が非常につまびらかになっている。
昨日食べた昼食、子どもと遊んだ公園、新しいコートを買った店まで投稿されている。
もはや ”ため息、までが公開されている状態である。
今では、休日に部下が何をしていたのかフェイスブックを見ればわかってしまうため、月曜日に出社したときに何を話せばいいかわからないという上司が非常に増えているそうだ。

ため息までまる見えになってしまう人間関係は、深すぎてムダではないだろうか?

人間関係が深すぎると、気を遣うことが多くなり、フラットでいることが難しくなる。
本当は言いたいことがあっても、言えなくなってしまう。
しかも、ソーシャルメディアで4時間つながっているのに、さらに飲みに行って人間関係を上塗りするのは、さすがに濃すぎて苦しくならないか?
それでは、せっかくの人間関係もムダである。

せっかくつくった人間関係をムダにしないためのポイントは、関係を深くし過ぎないこと。
著者は、クライアントなど仕事で関わる人たちとも仲良くなり過ぎないように気をつけている。
それは、仕事上「何か、違うな」と思うことがあったとき、きちんと指摘できる関係にしておくため。
それが言えなくなってしまうのは、仕事をプライベートが上回ってしまうからだ。
一見、プライベートでも仲良くなると仕事が円滑に進みそうに思えるが、仲良くなりすぎると、仕事のときに言いたいことが言いにくくなってしまう。
いつの間にか手段と目的が逆転してしまっているのである。

ムダのない人間関係の距離感とは、料理屋のカウンター越しぐらいの距離。
壁をつくるのではなく、安心して相手が話をできるように上半身を出しておく。
カウンターを隔てた50〜60cmぐらいの心理的な距離を、人との間に空けておくことだ。


◾️おわりに

自分の中で「常識」と思っていたことが、今の時代では「非常識」になっていることが増えてきています。
効率良く仕事をしていくためにも、まずはその「常識」を見直していかなければいけません。
自分の働き方にムダがないか気になる方は、是非読んでみてください。

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