『お金の教育がすべて。』読書レビュー 146冊目:資産運用No.2

『お金の教育がすべて。』
著:ミアン・サミ


こんにちは、読書好きのmasamariです。

今回は、ミアン・サミさんの『お金の教育がすべて。』をご紹介します。


◾️お金の信念は6歳までに形成される

人間は6歳までは、脳が全開放状態にある。
人間は動物の中でもかなりひ弱な状態で生まれてくるので、とにかく生きのびるために脳を全録音状態にして、危険情報を察知したり、生きるための知恵を取り込もうとする。
この全開放状態の時に、見聞きしたことが、子どもの信念に大きく関与する。
つまりは、お金に対する信念も、6歳までにおかれた環境による影響でほぼ決まってしまうのである。

赤ちゃんは生まれたばかりの時、「お金」という概念を持っていない。
この脳が全開放の状態の時に、両親がお金についての会話をするとする。
「無駄遣いしないでって言ったでしょ!」
「来月の生活費、ちゃんと入れてよ!」
こんなお金に対する会話は赤ちゃんの脳に記録され、「お金」は良いものであるとか、悪いものといった信念を形成していくことになる。

言葉だけではなく、その場の空気からも赤ちゃんは情報を記録していく。
家のローンの返済に苦しんでいる家庭では、支払いの日が近づくたびに母親が不機嫌になったり、父親が嘆いたりする。

そんな暗い雰囲気の家庭で育った子どもの脳には、「借金は人を不幸にさせる悪いもの」という情報が録音される。
そして、6歳までに録音されたテープが、ずっと頭の中に回り続けていく。


◾️信念が行動を動かす

なぜ、お金に対する信念が大切なのかというと、その信念によって、人は行動をするからである。
もし、「借金は怖いもの」という信念があれば、大人になってからも、「借金=不幸になる」という情報しか受け入れなくなってしまう。
「借金」という言葉を聞けば、「怖い」「悪い」「不幸」「喧嘩」「不機嫌」などのイメージが喚起され、負の感情が起こる。
そのような感情が起こると、世の中には、借金というリスクを負うことによって、お金を増やしている人もいるのだが、そんなことは、到底、信じることができなくなっていく。



実際は、金持ちほど良い借金をしてお金を増やしているし、企業も融資という借金を受けて事業を拡大しているのである。
そして、当然、借金をしてお金を増やそうという行動ができなくなる。

同様に、「お金は苦労して稼ぐもの」と口酸っぱく言われて育った子どもには、「お金」=「苦労して稼ぐもの」という録音テープがぐるぐる回っている。
このような信念があると、お金とは労働収入で稼ぐことが正しく、資本収入でお金を稼ぐことに罪悪感を抱くようになる。
そして、投資をするという行動にうつすことなどできなくなるのだ。

この他にも、

・「人からお金は借りるな」
・「人前ではお金の話をするな」
・「身の丈を越えるような金儲けをしてはいけない」
・「そこそこの生活ができればよい」
・「「お金儲けは悪い」

などのフレーズがお金に対する負の信念を形成していく。

人間の脳は、その後、録音と再生が混在する状態を経て、13歳くらいからは、再生モードに切り替わる。
この頃になると、「もっとお金があったらいいのになあ」と思いながらも行動にブレーキがかかってしまい、世の中のお金に関する情報から目を背けてしまうため、ファイナンシャルリテラシーが育たない。
その結果、「一向にお金は増えない」という人生を歩まざるをえなくなってしまう。


◾️お金の信念は子どもたちに受け継がれる

人の頭の中には、「小さい私」と「大きい私」がいる。
小さい私とは、「顕在意識」で、大きい私が「潜在意識」である。
「お金が欲しい(顕在意識)」と言葉にはしていながらも、「お金儲けは悪い(潜在意識)」という6歳までに録音されたテープが脳内に回っていれば、小さい私(顕在意識)は、大きい私(潜在意識)に抑え込まれてしまう。

潜在意識は、顕在意識の200万倍とも言われ、私たちの行動に大きな影響を与えると言われている。
潜在意識で「自由に生きるためのお金儲けは悪い」と思っているかぎり、顕在意識で「お金儲けをしたい」と思っていても、強力な潜在意識に勝つことは到底できない。
勝てない戦いを続けていると、脳はどんどん疲弊していく。
脳が疲弊すると、心身共にエネルギーがダウンし、欲しいものを得るための行動を起こせない。

労働収入と資本収入の差が開きつつある時代にも関わらず、「投資をしてお金を儲ける」ことに対して、「働かずに儲けている!」などの悪いイメージがあり、なかなか投資行動に踏み切れない大人が多いのも、この脳内のテープが回り続けていることが原因なのである。
お金に働かせて、お金がお金を集めるという資本収入を得ることにやましさや怪しさを感じてしまい、今一歩踏み出せない。
また、「必要以上にお金を稼ぐことはよくない」「お金儲けは汚いこと」という信念を持っているので、会社勤めなどをして労働によって得られるお金は受け取るに値するけれど、投資などの実態の見えないようなもので、お金を手に入れることに「罪悪感」を感じてしまうのである。



実際に、投資がなかなか進まないのもこのような信念が背景にあるからだろう。
また、「投資などのリスクを冒してまで収入をアップさせたくない」という、投資リスクへの恐怖心も大きな要因だ。
その恐怖心が、貯金へ人々を促し、労働以外のお金を手にすることを躊躇させてしまう。

多くの人が、その働き方を変えられずにいる。
その原因が、労働は美徳であるとかお金儲けは卑しいことだという信念であり、この信念が日本社会には暗強くはびこっていて、「貧困」と「格差」を生み出している大きな原因となっているのである。
そして、このような思い込みが、子どもたちのお金に対する信念に多大な影響を与えていることに「無自覚」になってしまっている人が多いという点が問題だ。


◾️「お金がすべてじゃない!」けど……

「額に汗して働く」という言葉がある。
そこに流れるのは、一生懸命に働くことを美徳とする倫理観。
「土日もなく働いているよ」とか「毎日帰宅は午前様だ」と得意げに話す人がいるが、これは「こんなに自分は頑張っているよ」という一種のアピールであり、一生懸命に働いていることを認めてもらいたいという気持ちが込められている。

一方で、平日の昼間から仕事をせずに、好きなことをして過ごすことに、後ろめたさを感じる人は多いだろうし、自分の子どもが将来そんな働き方をすることを望む親も少ないだろう。
もちろん、「勤労を尊いことだ」とする考え方は悪いことではない。
働くことは、自分の能力を発揮したり、生きがいを感じたりすることができるという点においては、とても素晴らしいものである。
そのような勤労の良さは、ぜひ、子どもたちにしっかりと伝えていきたい。

しかし、問題なのは、お金を創り出す方法が、「自分の人生の時間を切り売りするしかない」という偏った考えだけに縛られているという点である。
「馬の鼻面に人参をぶら下げる」ということわざは、好物をちらつかせて奮起させるといったたとえとして用いられるが、ほとんどの人たちが、まさに、そのことわざの馬のような状態ではないか?
「給料」という餌を手に入れるために、命を削って一生懸命に働いているのだ。
「お金のために働いているんじゃない!」とか「お金がすべてじゃない!」などと言う人も多くいるが、そのようなことを言う人たちでさえ、現実には、まさにお金のために働いていると言わざるを得ないのではないか?



このようにして自分の貴重な人生の時間を切る売りして手に入れたお金は、その人の「人生そのもの」と言ってもいいものだろう。
すなわち、労働で得たお金は、「人の命」だとさえ言える。
だからこそ、お金をあがめたり、恐れたりする気持ちが生まれる。
しかし、世の中には、一生懸命に働かなくても創られるお金があるのも事実。
それが、投資などから創る資本収入である。


◾️おわりに

日本人は「投資はよくない」とか「またお金稼ぎのことばかり考えて!」と、お金の話に対して抵抗があります。
私の親も投資に対してはネガティブに考えているうちの1人です。
しかし、お金が無いとできないことともありますし、生きていくためにはお金が必要なのも事実です。
もっとお金について真剣に考えなければいけませんね。
お金に対しての考え方を学びたい方は、是非読んでみてください。

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